エーテル

ここに入居したての頃は常にテレビが付いていた 理由は人の声が聞きたくて、音がないと淋しいと感じる性分の、十代を生きてたからだ 部屋は暗く、でも人の声は聞こえる そんな環境で明日を待ってうつらうつら、していたのだけれども、今はめっきりテレビはつけなくなった 秒針の音と、外から聞こえる虫の声、一階だから人の歩く音、駆けて行く音、ヒールのコツコツという音、シーツの擦れる音 今迄ひとつの感覚でしかなかった夜が、一気に多方面に広がった それと同時に暗くしていた部屋は、間接照明の明かりが無いと眠れなくなった 多角から攻められる現実から薄暗い何処か、へ逃避する為なのかもしれない 季節は流れても壁のひんやり感と裾がめくれ上がるのはいつまでも変わらないけど 

 

雨の日に傘を差して、散歩をすると思い出す事がある 数年前に写真に収めて、記録していたけど今はもう無いけど 信号機の青が濡れた路面に反射している写真 あれは十代最後の傷だった 今でも傷は痛む 青い路面が私をいつまでも地に縛り付けている 雨の日、傘を差しながら歩く現在に、確実に起きた現象であったけど、現在にとってはただの心象に成り上がっている 青い路面 美化、ともいうでしょうが、まったくもってうつくしいものではない 未だ覚えていることがある 車窓からり行く景色を見ていた 生温い車内 オレンジ色の街灯 気持ち悪く感じるストッキングとコンタクトが潤んで目を閉じるしか出来なかった、あの日 こんな風に必死に過去と未来を紡ぎ、縫いつけようと試みてる だけれども縫い目は何処なのでしょう 何処に行ってしまったのでしょうか 凍ったまま先日、二十一になってしまった 恐ろしい

あおのおわりはぐるぐると

 

 

まとまりはないけど、最近読んだ三島由紀夫の小説の中で、町のどの軒先にでも星はやさしい点滴のように光っていた、とあり、とても感銘を受けました