plentyによせて___2017年9月16日、日比谷野外音楽堂にて

音楽文は審査が厳しいのでここにて綴る

 

 

『青春が終わるのは、好きなバンドが解散するとき』

そんな言葉を何処かで聞いた気がする。それに当てはまるならば、私の青春第1期は2017年9月16日、日比谷野外音楽堂にて終わってしまったのかもしれない。

 

plentyと出会ったのは高校2年生、部活の遠征先のホテルであったと記憶している。早秋の、少し冷たいシーツを被りながら何気なく、PVを見た。それが『蒼き日々』だった。苦しい時期だったけれど、『朝が来るまでは僕だけが正義。』というこの歌詞のフレーズが、高校時代の私を守ってくれていた。心刺すようなおもいをした日だって、朝を迎えるのが億劫な夜だって、救い、乗り越える後押しをしてくれていたのはいつでも彼らだった。

保健室のベッドの中で毛布に包まれながら、『はじまりの吟』を聴いた。羊水にいる様だ、とレビューされているのをみたことがあるが、全くその通りで、胎内にいる様な穏やかさを与えてくれる。それ位、私の全てだった。

 

 

何度かライブにも足を運んだ。それは大学生になっても変わらなかった。11月の日比谷野外音楽堂にも行った。凍えるような寒さだったけど、愛しい音楽は、世界でいちばんうつくしい音楽は、いつでもそこで鳴ってくれていた。

 

大学生、自由に東京に行ける様になってからは高速バスに乗ってplentyをよく聴いていた。とっぷり更けた夜に、横目で、移り変わる都会から故郷への景色をみながら、付いている光が少なくなるのを確認しながら、何度も聴いていた。

plentyを聴くとよく眠れる。それは朝を迎えても怯えなくて大丈夫だと、日々はおわりとはじまりの連続なのだと教えてくれたお陰だった。

 

 

 

当日、日比谷野外音楽堂に到着すると雨が降っていた。しとしと湿っぽい空気は悲しみを増強させた。私が知っているplentyの歴史は、もう2人体制になっている時からで、前のドラマーが在籍していた時期は音源でしかわからないけど、デビューから8年と長い歴史を共に歩んできたファンはどんな思いなのだろう、と開場まで時間があったので、考えたりした。

前々日にチケットを譲ってくださる方がおり、奇跡的に会場の中に入れたのだけれども、肉眼で本人たちを見届けることが出来て本当に良かった。

解散する、と聞いて、最後のワンマンツアーの仙台公演とロックフェスに赴いたが、その時はチケットを持っていなかったので、音漏れ参加覚悟で過ごしていたが、本当に奇跡だと感じた。有難い。

 

SEでimogen heapのhide and seekが流れると、身が引き締まった。歴史が終わる瞬間のはじまりの合図だ。

ライブがはじまり、『拝啓、皆さま。』から『蒼き日々』までバンドは走り抜けた。ボーカルの江沼氏は出来る限り曲を詰め込むとMCで言っていたが、デビューアルバム『拝啓、皆さま。』から最後の作品『life』までの楽曲を、アンコール含め26曲を演奏しきった。

楽曲の細かい説明は私には難しいので割愛するが、本当に良かった、という言葉に尽きる。

開場前に『ETARNAL』を読んだが、ベースの新田氏は音楽を辞めてしまうそうで、とても悲しいが、楽しんで演奏している様子が見れ、安心した。

ドラマーの中村氏は、爆撃機という別名がある程、エモーショナルで、なおかつplentyに溶け込む繊細なドラムを演奏する方で、一気にボルデージを上げていく。

ファンも必死に叫声をあげる。

plentyのライブであんなに叫声を聞いたことがなかったので、ああ本当に最後なのだと感じた。

雨が強くなり、会場内も観客もずぶ濡れの中、江沼氏が放った「意外と良い曲あるんです」という言葉に、まったくそうだよ良い曲しかないよと心の中で返した。

本編最後の『手紙』では『僕をみてくれよ
/別々の道を歩くけど/いつかまた叱ってほしいよ/言い訳用意しとくから』と、解散する今日に聴くと別れを強く感じる曲にも思えた。

アンコールも9曲と長いセットで行われた。やっと聴けた東京での『東京』ではじまり、胸が苦しかった。最後は出会いの曲、『蒼き日々』で締めくくられた。 『どこでも行けると信じてたなら/どこにも行けないはずはない』と力強く歌う江沼氏をみて、また新しい明日がはじまる彼らをちゃんと見送れる、そう確信した。

終演後、またhide and seekが流れた。はじまりの合図だ。plentyの公演は終わってしまったが、日々が巡り明日が来るように、彼らにも明日が続いていく。まだまだ続く彼らの蒼き日々を応援しようと思えるエンドだった。

 

泣く隙間さえないくらい、密度の高いライブだった。私の、世界でいちばんうつくしいバンドは2017年9月16日、解散してしまった。